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2010年9月のアーカイブ

沖縄の風を偲んで

いつも心に太陽を!

  皆さんこんばんは。理事長の前田です。

  さて昨年のJCの全国会員大会 沖縄那覇大会から間もなく一年が過ぎようとしております。懐かしいですね。

  沖縄は大学生のときから何度となく観光で訪れておりました。

  お隣の与論島ではウィンドサーフィンをやっておりました。

  食べ物も美味しく、景色も綺麗ですしね。あと本職は下戸でありますが、呑み助の方々には泡盛やオリオンビールは南国の風味がしてよろしいかと思います。

 

  

 

  沖縄の島は碧が濃く、澄んだ青い空が印象的でした。

  実は大会期間中に本島南部にある摩文仁の丘を訪れる機会がありました。

 

 

  その日は早朝那覇から南に車を走らせました。

  街が途切れ、そのあと道中見える風景は、小高い緑の丘とどこまでも広がる萌黄色のサトウキビ畑でした。それはまるでキルトのパッチワークのようにも見えました。

  東風平(こちんだ)、南風原(はえばる)という地名から昔よりこの琉球の島には良い風が吹いていたんでしょう。たしかにサトウキビ畑がざわわ、ざわわとあたりでなびいていました。時間が止まっていたかのようでした。

 

 

  この南部の街道は大東亜戦争末期 沖縄戦最後の激戦地であり、南風原には当時陸軍の野戦病院壕が造られ、大勢の負傷兵がここで亡くなりました。

  鉄の暴風雨とまで言われた米軍の凄まじい砲撃によって、沖縄の県民は約10万人の人々が非戦闘員にもかかわらず亡くなりました。これは総人口のうち4人に1人が命を落としたことになります。

 また沖縄を防衛した在島将兵もその多くが戦死し、その数も約10万人であったといいます。米軍側の戦死者数は米海軍の特攻による被害もあわせて約1万人でした。 

 あの小さな島でこれだけ多くの命が失い、いかに日米ともこの沖縄を作戦上重要視していたかを物語っております。

 その中でも悲劇的であったのが映画や小説でも有名な『ひめゆり学徒隊』です。彼女たちはまだ15歳から18歳までのあどけなさを残す少女たちでした。

 昭和20年4月1日の米軍上陸直前に負傷兵の救護、看護を軍命として動員を受け戦闘時も彼女たちは砲弾の中を駆け回っていたのです。沖縄の少年たちは『鉄血勤皇隊』として兵隊同様に銃を持って戦い、そのほとんどの学生が戦死しました。

 やがて那覇の首里城内にあった司令部が陥落し、軍は沖縄本島南部に撤退を開始します。

 しかしそこには多くの沖縄県民が避難しており、島田叡(あきら)沖縄県知事は軍司令官に南部での戦闘を控え県民の人命を優先してほしいと命令の撤回を求めましましたが、軍は一日でも長くこの島で持久戦を遂行し、敵の本土上陸を遅らせたいことが第一であるとし、結局司令部を南端の摩文仁の壕へ移しました。

 そして敗色が濃くなった6月18日、ひめゆり学徒隊を含む多くの女子学徒隊に突然軍から解散命令が出されます。彼女たちは途方にくれてしまいます。戦場の真ん中で今更避難も出来ず、この日を境にひめゆりの少女たちのほとんどが亡くなってしまいました。そして6月23日に組織的な戦闘が終了。あともう少しで彼女たちは暗い壕から眩しい太陽の下を歩けたのです。

 軍にも武士の情けがあれば、彼女たちや非戦闘員を非武装地帯に集めて保護していればと思いますが、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が徹底していたあの時代には叶わず、また現在の考え方で検証することが果たして最善なのかは正直考え悩むところではありますが、前途有為な少年少女たちを何とか助けられなかったのかと無念でなりません。

 摩文仁の丘に着き、式典の後、ひめゆり平和祈念資料館を訪れました。ここは第三外科壕があった場所でこの壕にいた96名のうち87名が亡くなり、ひめゆり学徒隊、教諭のほかに軍医や従軍看護婦や住民も犠牲になりました。

 資料館では、十五年戦争観というのか一部分論調的にわたくし自身疑問を持つところも正直ありましたが、沖縄戦の凄惨さをを映像や遺品を通じて切実に訴えかけてきました。

 そして亡くなったすべてのひめゆりの少女たちの遺影が飾られた部屋がありました。

 そこには生き残った同級生が戦後記したのでしょう少女たちがどんな性格の女の子であったのか懇切丁寧に書かれておりました。そして亡くなった日時場所も載せてありました。なかには死亡日時場所不明とだけ書かれた遺影もあり、人知れず今も土の中で眠っているのかと思い、涙が溢れてしかたがありませんでした。

 資料館では生き残った方々の手記も閲覧できます。あの戦争を体験した人々がご高齢で亡くなってゆく今、記憶を風化させてはいけないと思います。

 どんな思想信条の人も戦争を起こしたくてしょうがない人間はおりません。

 しかし同時に平和はただ唱えるだけでは維持できません。

 防衛力という盾と矛を身につけねば、守れる人の命すら守れません。

 観念論的な平和論は それ自体は美しいかもしれません。

 しかしそのようなサンクチュアリから今そこにある危機にどうやって対処するのでしょう? わたくしはそのような考えに自分や大切な人々の命のリスクを預ける気には申し訳ないですがなれません。 

 沖縄の風を体に受けながら命の尊さと、その命を守るべくしっかりとした危機管理を模索しました。

 懐かしいあの風景を思い起こしながらも、わたくしの考えは今も変わりません。

 

 

 

 

ざわわ ざわわ サトウキビ畑1 糸満市.JPG              【糸満市の街道をゆく どこまでも続くサトウキビ畑】

 

 

碑文.JPG                        【摩文仁の丘 JCの碑文】

        平和式典時に序幕式が行われました。2009年日本青年会議所会頭

        であった沖縄県ご出身の安里繁信君がその想いを碑文に籠められまし

        た。

  

 

250px-Himeyuri_Monument-2.jpg                        【ひめゆりの塔】

             終戦直後1946年に建てられました。物資難の時代でもあり、また

         米軍統治下の事情もあってか小さな子どもくらいの塔でした。

         後方のレリーフは後に建てた慰霊碑で、こちらをひめゆりの塔と思って

         いる方も多いと聞きました。

 

  垂直の洞窟.JPG                     【第三外科壕 入り口】

         レリーフの前は壕の入り口でひめゆりの少女たちがたてこもり、

         そのほとんどが米軍の黄燐弾の攻撃で命を落としました。隆起珊瑚礁

         の自然洞窟(沖縄ではガマと呼ばれる)を利用しておりますが、垂直に

         切り立った入り口のため逃げ場所がなく、最も被害が大きかったそうで

         す。

 

同門前にて.JPG                       【資料館門前にて】 

          ひめゆり学徒隊は沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校

           女子部の生徒たちで構成され

          前者の校友誌[乙姫]と後者の[白百合]が

          後の学校併設により合さって[ひめゆり]となりました。

          動員された教諭と学徒計240人のうち136人が亡くなりました。

          資料館外観はその往時の学び舎の雰囲気を残したそうです。

 

         またいつか訪れたいと思います。

         そして沖縄戦でもう一つ印象に残ったことは

          今回は訪れてませんが、以前訪れた沖縄 豊見城市にある

          激戦地旧海軍司令壕跡です。

         ここは主に海軍の軍人が守っていたところでしたが

            陥落寸前に司令官太田実少将は東京に宛てて最後の打電を

            送られました。

            それが有名な

 

       『沖縄県民斯く戦エリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』

 

           であります。

          島の形が変わるまでの砲爆撃の中、必死になって戦う軍や県民

          の経緯と実情、その損害の大きさを軍首脳部に率直に伝えています。

           そして激戦敢闘した沖縄県人にどうか後の世で困らぬように充分な

           配慮願いたいというこの言葉で終わっています。

          海軍軍人としては本来逸脱した行動だったのかもしれませんが、

          それほどまでに沖縄県民の方々への想いがあったのでしょう。

          太田少将は、県民救護に全力であたられ最後は摩文仁の壕で亡くなられた

                     といわれる島田 知事とともに今も沖縄の人々の心に残っています。

 

sireikansitu.jpg                     【海軍司令壕内 司令官室】

 

dannkon.jpg                       【同壕内に残る無数の穴】

            壁に見られる無数の穴は、多くの将兵が手榴弾にて自決された

            その痕です。今もそのままになっていました。

  

白梅の碑.jpg

                        【白梅の碑】

            新里堅進氏の書籍です。

            白梅女子学徒隊は沖縄県立第二高等女学校の生徒たち

            が負傷兵を看護をしておりました。

            ひめゆりの少女たちと同じく多くの生徒が亡くなってしまいまし

            た。白梅の慰霊塔は沖縄南部の国吉にあります。

   

      

       沖縄戦で亡くなられたすべての方々のご冥福をお祈り申し上げます

     

 

 

     大会時の懐かしい写真もありました。

 

      

      

  

  

 

 

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いつも心に太陽を!

  皆さんこんにちは。理事長の前田です。

  さて連日の新聞やニュースを観て、あまりの精神的脱力感に苛まれ、更新が滞りまして失礼しました。

 皆さん現在も進行中であります尖閣諸島沖での中国漁船(人民解放軍の監視船?)による領海侵犯及び海上保安庁巡視船体当たり事件はご承知の事と存じます。

 わたくしもJC内において領土領海問題にはひときわ関心を持っており、経過を見ておりましたが改めて我が国戦後最大級の失策が行われてしまいました。

 那覇地検の次席検事は会見で

 「(公務執行妨害の疑いで拘置している中国人船長の)とっさに取った行為で、計画性もなく前科もない。国民の影響や日中関係を考慮すると、身柄の拘束を継続して捜査を続けることは相当ではないと判断した。」

 と述べ、処分保留のまま当該船長を釈放してしまいました。

 待ってください! いつから検察は政治的判断を委ねられたのでしょうか?

 司法当局はただ粛々と日本国の刑法(国内法)に基づき被疑者を裁判にかけ、有罪であれば処罰を執行すればよかったのです。

 処分保留ということは何を示すかといえば

 日本の法律で裁けないエリア = 尖閣諸島は国内ではない=日本の領土に非ず

 という構図を生み出してしまったのです。これは絶対にしてはいけなかった。

 必ず中国はこれを新手の外交カードとして出してくるでしょう。

 尖閣諸島近辺の海では今も70隻近い中国の漁船が操業をしております。同じような行為が再び行われたとき(前述の船長はVサインの後「また尖閣に行く」と明言しています)拘束されても刑事処分を受ける恐れを感じず、ますます行動がエスカレートするでしょう。

 そもそもこの尖閣諸島においても『このエリアに領土問題は存在しない』という日本側のスタンスでありました。中国および台湾が抗議をしても、「これは日本の島である 話し合いに応じる必要はない」と突っぱねてきました。

 しかし今回の事件で、中国はこのエリアに領土問題(紛争まではゆかないが)が存在すると声高々に挙げるスキを与えてしまいました。中国の狙いはそこにあるとわたしは推察します。そして覇権主義国家の常套手段である[次はその先の領域]を狙ってきます 尖閣諸島の先には沖縄の島々が横たわっています。琉球王国は元来中国の属国であったので我が国に帰属するべきであると述べている中国の学者もおります。

 

 今回の事件で日本は多くのものを失い、損なわれました。

*完全な法治国家であるということが言えなくなった

  諸外国の圧力で法の正義と真理が歪められる国であると内外に伝えられた。

  法の下の平等が損なわれた(同様の行為を計画性がなく前科のない日本人が行

 ったら どうするのか?やはり処分保留か?  意地悪な質問だが)

  検察による政治的判断により司法と行政の独立を侵してしまった。

  司法当局に政治的判断が許されればいつか逆に時の政府に反抗的な者は官憲

 によって取り締まられる事も可能であろう。

  検察に対して政府(首相官邸サイド)の介入があったならばこれも大問題である。

 しかし今のところ政府による検察の越権行為を批判する声は上がっていない(ということはやはり?)

  いずれにしても国会の審議が待たれる。

 

*国際的な地位の失墜

 当該船長を放免にすれば事が沈静化するという事なかれ主義、外交交渉における戦略の無さも露呈した。(中国によるレアアースの禁輸政策や拘束されている4邦人などよりも機先を制して交渉するべきであったが船長の拘束もなくなった今、中国サイドに憂いを与えるカードが無い)

 同盟国アメリカの信用も、鳩山政権での普天間基地の問題から端を発し、ここに至っては、日本をパートナーとして頼りなさを思わざるを得ないであろう。いくら現場の自衛隊戦力やコーストガードたる海上保安庁の実戦能力が高くても、内閣総理大臣やそのブレーンがこの程度の指揮判断能力では到底事態の収拾は望めない。現状ではアメリカも自国民を犠牲にしてまで日本の世話をするまい。辛うじて尖閣諸島領域は日米安全保障の対象内とうたっているから中国も武力行為に踏み出していないだけである。

 

 今後このような中国の恫喝行為が他の方面(たとえば南シナ海)でも行われた場合、日本の毅然とできなかった行動が仇となってしまった結果であるからASEAN諸国など他国の信用も損なわれるだろう。他国にも間接的に大迷惑をかけてしまう。

 中国側は今回の日本の判断に狂喜し

 「日本は尖閣諸島の主権を放棄した」

 「少し恫喝すれば日本は譲歩する」「日本人は領土問題に関心が希薄だ」

 という受け止め方をした。そしてそれはロシアや北朝鮮、韓国といった周辺国のみならず全世界も同様に捉え、捕鯨問題など様々な国益に繋がるケースにも波及してゆくであろう。

 

*国家としての威厳と誇りが傷つけられた

  事件発生後、北京の中国政府は在中国 日本大使を深夜にもかかわらず数回にわたり庁舎に呼びつけ抗議を行った。 大使という職責は外交官の身分では最上階であり極めて重く、我国では国家元首たる天皇陛下から信任をいただき、接受国では国家元首の名代として職務を遂行するのであるが、その大使を粗略に扱う事への無礼はひいては日本国を軽々に扱うに等しく、断じてこのような行為を許してはならない。 中国当局の言われるままに、何も考えずに伺って行った丹羽大使も軽率であったし、ご自身の職責の重さを認識して頂きたかった。そのあたりの危機管理も希薄であった。

  今後中国側はいっそう日本に対し、武力や経済的な優位性を背景に宗主国的態度を見せてくるであろう。

  それに対して日本ができること (色々参考にしました)

*絶対に中国の要求する謝罪・補償に応じない 断固拒否である。

*当該中国漁船の危険性、異常性(意図的な追突行為)を実証するため、証拠物件

 であるビデオ映像の公開。(全世界に配信)

*次は国内法に基づいて処罰する。(前例があるため非常に苦しいが)

  また外国船の違法活動を取締る法律の制定も急がれる。

*沖縄本島を含む南西諸島の国防力増加(航空部隊や島嶼防衛の専門部隊の実戦

 配備)

*尖閣諸島海域での海上自衛隊 護衛艦隊の演習を開始(示威行為)

 年に一度は米海軍(第7艦隊)と共同訓練を開始

*自衛隊による尖閣諸島常駐警備はまず法的な面を整備しなければならない。

 つまり自衛官には司法管轄権という権限を与えられておらず、領海侵犯者に対し逮捕、起訴することができない。ソマリア沖海賊対策でもこの件が問題になり、結果的に護衛艦に、海の警察官である海上保安官が便乗する形式をとった。

 大規模な領海侵犯には海上警備行動(自衛隊法82条の2)の発令にかかってくるがこれも様々な論議を呼びそうである。このように形だけ自衛隊戦力をこの領域に送り込んでも、現段階では視覚的な実効支配という以外何も行使できず、中国側に更なる挑発行動(中国海軍の遊弋)の口実を与えることになってしまう。東シナ海を担当する海上保安庁第11管区の装備増強とともに、特殊部隊の警備常駐を行われたい。

 

*中国は覇権主義国家であるという認識を各国と共有する。

  世界各国の分析は日本の弱腰外交は眼中になく(それもつらい事だが)、それよ

 りも中国への警戒感のほうが大きい。連帯して中国に対抗すべし。

*日本は「白樺」など東シナ海のわが国排他的経済水域内の天然ガス田の試掘を

 直ちに着手し他の海域の海洋資源の確保に努めるべし。

*中国政府のレアアースの禁輸措置行為は明らかなWTO協定違反である。

  中国は平気で国際的な産業通商ルールを破る国家であると広く知らしめれば立場 

  が困るのは中国当局である レアアースの産出国は豪州やベトナムにもあり、こ

  れを機に『脱中国』という経済的戦略を打ち出されたし。

  レアアースはハイブリット車など先端技術には欠かせないが、中国自体まだこの 

 技術の応用が活かされておらず、レアアースはどうしても国外に輸出せねばビジネ 

 スが成り立たない。その事は充分承知のはず。

 

 今回の事件への対応は、1977年日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件以来(いや以上か)の大失態であり、この時も福田赳夫総理〔当時〕が「人命は地球より重い」という迷言を残し、政治的判断という超法規的措置によって収監中であったメンバー6名を釈放してしまいました。現在もその内の3名が国際手配中です。

 事件後、日本政府の対応に世界は「日本は電化製品や自動車以外にもテロリストも輸出しているのか」と大批判を受けました。またそれまで自国内にはハイジャック犯を制圧する治安維持部隊すらなく、あわてて日本も秘密裏に警察により特殊部隊(後のSAT:Special Assault Team)を創設することになります。{余談ですが その後に起きた1979年大阪 三菱銀行人質事件にも出動していました}

 

 今回の日本政府の大失策と中国の横暴

 我々一般国民も勿論悔しいですが今回誰が一番悔しいか? 

 決まっているじゃ有りませんか!

 第一線で国境を守っている自衛官や海上保安官の方々ですよ!!

 それでも彼らは歯を食いしばって今日も海や空の上で頑張っているのです。

 わたくしは思います。真の国防・治安維持とは決してミサイルの数やイージス艦の数、パトカーやマシンガンの保有数の多寡ではありません。その後ろに立って領土領海や防犯に常に関心を寄せる国民の世論の高さが本当の防衛力であると考えます。それは言葉を変えれば『銃後の守り』とも呼べます。特に国防に関しては今の日本にはハイテクの武器や優秀な兵士がいても銃後の守りがないのです。

 水と安全はタダの時代は遥か昔に終わっております。

 今、日本は危機管理を怠ったツケがまわり、これまでになく坂道を転がり、堕ちるところまで堕ちました。

 今、日本を信頼・尊敬している国があるでしょうか? 無いと思いますはっきり言って。

 でも、ここまで堕ちたんです。あとは上を向いて頑張って這い上がってゆきましょう。

 子や孫の世代の前に少しでも日本の地位向上のために頑張りましょう。

 我々は徴兵によって軍隊に行かなくてもよい国に生まれました。だからこそ、せめて銃後の守りをしっかりやってゆきましょう。そして第一線で頑張っている日本の防人(さきもり)に感謝しましょう。我々が日々枕を高くして眠れるのはこの人たちがいるからです。

 

019_01.jpg                      

 

中華民国 感謝状.jpg

 

                               【中華民国政府からの感謝状】

  史料は沖縄県石垣市に保管されていたもので

  内容は『中華民国8年〔大正8年 1919年〕に中国漁民31人が日本帝国 沖縄県八重山郡 尖閣列島和洋島(現魚釣島)に漂着し石垣村(現石垣市)の村民が熱心に看護し全員元気に生還することができた。その感謝に感状を贈る』とある

   日本が実効支配していた尖閣諸島を中国政府が日本固有の領土と公式に認めていることを裏付ける史料である

 

     尖閣諸島は我が日本の固有の領土です!!      

 

 

おまけ                                 asahi.comより

      

        日本の巡視船にぶつけられて船体に穴が空いたと怒ってましたが

 

穴なし.jpg                                   【石垣島出航時(中国の漁港に戻る)】 

                        うん船体に穴はなしと

 

穴あり.jpg                                     【中国の漁港に到着】

                あれれ何なりか?数字の横に穴がある

                   デビルカッターでやられたか? 

           「ある時」 「ない時」とはまるで551の豚まんの如しなり

                     恐るべし中国の漁船

 

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いつも心に太陽を!

  皆さんこんにちは。理事長の前田です。

  さて先だって行われました社団法人 海南青年会議所9月公開例会

 『未来への贈り物~エコキャップでワクチンを in紀三井寺球場』に多数のご来場くださりまして本当にありがとうございました!

 各少年野球チームの皆さん、当日は昼間にも大事な試合があり、終了後すぐに紀三井寺球場に駆けつけてくださいまして感謝申し上げます。

 和歌山県人の野球の聖地であります紀三井寺球場で、子どもたちにのびのびと野球を楽しんでほしい。そこからこの例会がスタートしました。

 そして、この日もわが子をスタンドから応援するお父さん、お母さん。厳しいながらもしっかり子どもたちを想い指導する監督さんやコーチさん。この「人が成長するうえで欠かせない絆」がここにはありました。

 スポーツだけにかかわらず、何かにひたむきになることは良い事だと改めて感じました。

 

 そしてペットボトルのキャップをご持参くださいました皆さま、お手数をおかけしましてすみませんでした。皆さまから頂いた貴重な善意はしっかりと海の向こうに届くよう頑張ってまいります。

 かつて日本も戦後のある時期は国土が荒廃し、貧しく、薬もなく人々が苦しんでおりました。そのとき赤十字を通じ、世界の国々から沢山の医療品が届けられました。ある国では自分たちの使う薬を減らし、「日本の子どもたちが病気にならないよう使って欲しい」と手紙を添えて送られてきた事もあったといいます。そのおかげで日本ではワクチンが揃い、子どもたちが病気で亡くなる率が低下しました。世界の善意に助けられたのです。

 今度は私たちが善意のお返しをする番です。

 人を思いやる気持ちは一人称では完結しません。必ず相手がいます。

 その相手は海の向こうにいます。

 

 

 最後になりますが、海南JCメンバーの皆さん、本当にお疲れ様でありました。

 皆さんが各担当をまっとうしていただき今回の盛況がありました。

 準備のため、予定よりも早くから球場に来られた皆さん

 来場者でごったがえした受付を笑顔で対応された皆さん

 鉄板の熱さに汗だくになりながら焼きそばを作った皆さん

 放送室でトイレにも行けず全試合を記録、実況した皆さん

 アトラクションにもみくちゃになりながら子どもたちに笑顔で対応した皆さん

 きぐるみで全身汗びっしょりになり子どもたちから突かれながらも任務を全うした人

 グランドで進行を助け、走り回った皆さん

 写真撮影に走り回った皆さん

 見えないところで進行を支えてくださった皆さん

  本当にお疲れ様でありました!!

 そして橋爪委員長をはじめJC事業委員会の皆さん、少ない人数のなか各セクションで本当に例会を支えてくださいました。ありがとうございました!!

  メンバーの皆さんの「俺たちがやらねば誰がやる!」の精神が、あの紀三井寺球場の熱気を集めたのです。野球少年の心にも火がついたのです。

  あの時あがった花火は、野球の神様のちょっとしたご褒美かもしれません。

            皆さん本当にお疲れ様でした!!!

 

  少し休んで、また次のゴールに向かって元気出してゆきましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Go For Broke !  打ち砕け!

いつも心に太陽を!

  皆さんお疲れ様です。理事長の前田です。

  いよいよ明日、海南JC9月例会

     『 未来への贈り物 ~エコキャップでワクチンを in 紀三井寺球場~ 』

 が行われます。

 天気も晴れのようで、秋の夜空の下で開催できそうです。

 予報では若干涼しい風が吹くようで、皆さま健康管理にはお気をつけてくださいね。

 本職も冒頭挨拶のひとりリハをしております。

 さて少し前ですが(最近ブログが停滞しておりましたね 失礼をば致しました)

 JC事業委員会さんが会議前に下津町にあります焼肉の吉野で決起集会をするらしいと情報が海南JCのジェームズ・ボンド(007)から届きまして、肉食系の本職も急行しました。

 

 

おいおい.jpg

                   【JC事業委員会作戦会議中を撮る】

             右より

  橋爪委員長、小賀君ん?、廣田副委員長、吉野委員(吉やん)、山本委員(やまちゃん)

             あっ ひろポン(廣田副委員長)気づきやがったな

           本年・次年構想語り合う.jpg

                                【おやおや 小賀君 なぜに ゆえに】

            小賀君 実はめちゃ近所のため召集がかかりました

            そしてこの焼肉吉野の常連さんでもあります

    本職もここのお肉大好きであります(タレのどろーり感も絶妙です。白いご飯が何杯で  

    もゆけまする)

           小賀君来年頑張りよしよ わしも応援するさかいによ!!

         

本年度・次年度事業系委員長固め杯の巻.jpg

                         【男気固めの儀】

            この儀式 わかる方には「ああもうそんな時期やいしょ」

            となります。おわかりになられぬ方 通話10を押してください。

            お二人さん熱く語っておられました。

            小賀君 大変なセクションではありますが

            貴殿の笑顔とユーモアで必ず初志貫徹されるでありましょう!

            小賀君のJC活動における武運長久をお祈り申し上げまふ

           

            JC事業委員会の精鋭さん よろしくお願いします!!

            いざ! いざ! 紀三井寺球場へ!!

 

JC事業委員会精鋭.jpg

                 

                Go For Broke! 打ち砕け!

 

 

 

 アメリカ陸軍 日系二世部隊 第442連隊は、第二次大戦において欧州戦線でドイツ軍と果敢に戦った精鋭部隊であります。常に最前線に立ったため損害も多く、また他の部隊から「なぜ敵の日本人野郎がいるんだ」と罵られながらも、彼らはアメリカの故郷に残した親兄弟のため、親の祖国日本また自らの祖国アメリカの名誉のために戦い続けました。危機に陥った友軍部隊の救出も数限りなく、最後には442連隊は周囲の尊敬を勝ち得てゆきました。

 その後戦争が終結し、アメリカに戻り首都ワシントンで雨のなか凱旋パレードを行ったとき、この部隊の半分以上が戦場の野末の石の下で、元気な者は少人数しか残っておりませんでした。442連隊がその姿を現したとき沿道の人々の歓声が消え、ざわめきがなくなりました。やがて誰ともなくひとりひとりと、人々は手にした傘を閉じ、この部隊に弔意を表しました。そして沿道から

「おかえり!坊や!」という母親の声とともに再び大歓声が彼らをつつみこみました。

彼らがアメリカのヒーローになった瞬間です。

彼らの勇戦はアメリカ合衆国の歴史に刻まれ、今もその名を不滅のものとしています。

「Go For Broke!」 ( 打ち砕け!)は、この442連隊のモットーであり、少数になりながらも様々なものに対し果敢に突破した精神を表しております。

 

     

 

 

 

  おまけ

          テレパシー受信吉やん.jpg                   【吉やん 頭の毛 テレパシー受信中】  

            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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燃えよ!和歌山魂

いつも心に太陽を!

  皆さんお疲れ様です。理事長の前田です。

  さてまもなく海南JCでは

  9月例会 未来への贈り物~エコキャップでワクチンを in紀三井寺球場

  が開催されます。

  和歌山県の野球を愛する者の聖地であります紀三井寺球場から

 世界で今危機に瀕している子どもたちの命を私たちのすぐ身の回りにあるペットボトルのキャップを沢山集めてワクチン代として届けようという運動です。

 

 NPO法人〔内閣府認証〕エコキャップ推進協会さんによると

   キャップ400個で10円のワクチン代ができ

   ポリオワクチンは1人20円 20円で幼い子どもたちの命が救えます。

 キャップを集めるという、あなたの行動が世界の貧しい子どもたちの命を守ることに

 つながってゆきます。どんな些細なアクションでも海の向こうでは、そのアクションで

 助かる命があるのです。 明日を待てない小さな命があります。

 

 かのマザー・テレサさんは生前このように申されておりました。

  「世界には二つの貧しい国があります 

   一つは物がない国 インド

   そしてもう一つは物は溢れているが、人々が無関心で行き交う国 日本」

 私たちの国はマザー・テレサさんから見たら心が貧しい国と思われていたのです・・・・。 高潔な方からのご意見だっただけに、知ったときはショックは大きかったですね。

 ですがね、言われっぱなしでは日本人の名がすたるってもんじゃありませんか!

 頑張ってこの例会を盛り上げてゆきましょう! そしてここ和歌山から国際貢献のアクションの炎を燃やしましょう!

 

NPO法人〔内閣府認証〕エコキャップ推進協会        

http://ecocap007.com/seturitu.html

  

 それからJCでは現在 公益社団法人 日本青年会議所(日本JC)が推奨するマラリア撲滅を目的とする国連基金協働運動『JCI Nothing But Nets』も展開しております。

 

マラリアは夜行性の蚊を媒体とする死亡率の高い感染症で、5歳未満の免疫力のない子供たちが犠牲となっています。その現状は深刻なもので30秒に1人、1日に3000人、1年で100万人以上の幼い尊い命が失われているのです。

感染を防ぐ最も効果的な対策として、国連が推奨する殺虫効果のある蚊帳の中で就寝することが有効であると実証されています。この蚊帳を一つの家庭に配布するための費用はたったの1,000円だそうです。

詳細は下記の日本青年会議所HP 国連基金協働運動欄をご覧下さい。

http://www.10jaycee.com/2010/network/   

 

 メンバーの皆さん、9月例会当日は大勢の地域の皆さんがお越しになられます。お一人お一人の役割分担・協力が不可欠です!

  少ない人数のなか日々夜遅くまで例会準備をされておりますJC事業委員会の仲間へのバックアップよろしくお願い致します!!!

 

 

 

 先だっては社団法人 白浜・田辺青年会議所さん(通称白田さん)の公開例会にお邪魔させて頂きました。 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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いつも心に太陽を!

  皆さんこんばんは。理事長の前田です。

  本日9月1日は「防災の日」でありました。

  大正12年(1923年)に発生した関東大震災の日付に因み昭和35年(1960年)に制定されました。

 本日は全国各地で防災訓練が開催されたかと思います。

 私たちのまち海南市も東南海・南海地震の発生エリア内にあります。

 最近は防災に関する書籍も『大震災サバイバル読本』とか『これだけは備えよう防災チェック!』など沢山でております。

 なかには「おいおい そんなサバイバルナイフ所持してたら警察に捕まるよ」的な指南書までありました。 ジャングルで野豚を狩る方法とか、ミラーを使ってのモールス信号とかも掲載され、はしづめ、失敬さしずめ ランボー養成本のようでありました。

 わたくしが体得したら リジチョー シリーズ 「リジチョー 怒りの脱出」 でしょうか。

 

 

 さて防災の備えというものはいくつかありますが、それはどの防災マニュアル本にも載っておりますので、そちらでご確認していただけたらと思います。

 ですが、罹災経験者として、申し上げたいことはただ一つであります。

 それは

あの巨大な揺れの後で、あなたはその防災グッズを使えます?

 です。

 実はわたくしもあの神戸の地震の前から枕元にマグライト 足元にスリッパを置いておりました。一応備えてはいたのです。

 ですが西宮市を襲った震度7の激震のあと、その防災グッズはどこかに消し飛んでしまいました。日の出前の真っ暗闇のなか、わたしの周辺は無数のガラス片、ガレキが散乱しておりました。たまたま起きて縁側に立っており、難を逃れましたが、あの不気味に青く光っていたガラス破片の床を素足でバリバリと鳴らしながら歩いて外に脱出した感触は今思い出してもゾッとします。足の裏は傷だらけになりました。

 改めて思います。本当の備えは、あの極限の状況であっても使える工夫なのだと。

 どんなに高価な防災グッズでも離れた所に置いていては意味がありません。宝の持ち腐れであります。逆にチープなものでも、確実に手が届くところにあれば有効なのです。

 今ではわたくしは、ライトもスリッパも敷き布団の下に置いております。これだと少なくとも揺れで無くなる確率は下がります。スリッパは底が厚いタイプです。非常用リュックもベットの下に置いてます。

 あと寝室には重く背が高いタンスは置いてません。圧死の原因になりますし、脱出の際、道をふさぐことにもなります。

 脱出経路の付近のガラス窓には飛散防止フィルムを貼りましょう。

 一家に一台ラジオを。 地域の情報(どこどこで炊き出ししているとか、お風呂の提供があるとか 義捐金の交付)の多くは地元のラジオ放送局から発信してました。

 薬や生理用品の備蓄を。コンビニで食べ物の次に無くなったのは女性用の生理用品、紙おむつでした。持病のある方は薬の予備も必要です。あとマスクもすぐ店頭から消えました。

 夏の震災で困るのは 蚊、トイレ (びろうな話ですが衛生的にきれいにしないと伝染

                     病の発生原因につながります)

 冬の震災で困るのは 寒さ (体育館などの避難所は底冷えします)

 日本家屋の場合 瓦が落ちてくる構造なので、あわてて外に出ない

                         (これで頭に怪我をした人が続出しました)

 避難時には家屋のブレーカーを落としましょう。〔通電火災防止〕

    (電気復旧時 コンセントに繋いだままの電気製品がショートして火災が多発)

 

 ●有って助かったもの

  *卓上カセットコンロ(ガスボンベ) たいがいの調理ができます 

  *バール ふさがったドアをこじ開け脱出しました。 

         ただ平時、クルマに積んでおくとお巡りさんに不審がられます。注意

  *ポリタンク、キャリーカー  水の配給時に必要に

  *消毒型ウェットティッシュ  有ると無いとで気分的に違います(GTSでも)      

  *ブルーシート  雨漏り対策 風除け   

  *シュラフ  いやあほんとに重宝しましたよ 持ってて良かった

  以上気づいた点を列記しました。

  また防災企画いろいろ考えてみます!

               

              皆さん防災に備えましょうね!!   

 

 

 

 

 

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八月は夢花火

いつも心に太陽を!

  皆さんお疲れ様です。理事長の前田です。

  先日、JCのメンバーたちと海南市冷水浦の高台からマリーナシティーの花火を眺めておりました。花火はやっぱり夏の風物詩ですね。

 

 打ち上がる花火の玉は尺貫で表され、一寸=約3.3糎です。

 直径が三寸のものを3号玉で、一尺(約30.3糎)のものを10号玉と呼ぶそうです。

 大きいものでは40号玉(なんと4尺 約120糎 子ども一人分の大きさ!)

 すごいですなあ あっ因みに糎はセンチです ミリは粍 メートルは米であります

 我が前田家では漢字表記が多いです。しかも旧字体もバリバリ健在ですが、先日古い書物を発見しました。昭和6年発行その題に

 體育會とありました 何でしょう? 最後の字は会津の会だな 時代劇でよくでてきたな。

 骨に豊かか うーーーん・・・・・・・・ハッ! ハモか ハモを育てる会だわ ハモの梅肉あえ美味しいよなあ 満州事変の頃にそんな会があったんやなあ  と古書をながめ感慨に耽っておりました。

 お寿司屋さんの湯のみで確認するまでもなく ハモはさかな編に豊か であります。

 上記の旧字は【体育会】でありました。スポーツ記事やったんですなあ。

  

 花火に戻って

 夏の星座にぶらさがって 上から花火を見下ろして aikoの『花火』の一節ですが、上空から花火を眺めるのってどんな感じなんでしょうね。

 

 

11620402.jpg                

                   

                夏が過ぎ 風あざみ 誰のたそがれにさまよう

                   八月は夢花火 私の心は 夏模様

                                

                                  『少年時代』 井上 陽水 1991

 

 

 

 

 

 

 

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